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かつて日本軍も恐怖のどん底に。ククリナイフで戦う世界最強の戦闘民族「グルカ族」

豆知識

世界最強の戦闘民族といえば、マンガでは「サイヤ人」で間違いないですが、現実でもそう呼ばれる民族が存在すると。かつて日本軍も戦い、苦い思い出を植え付けられたこともあり、無関係ではない。

世界最強の戦闘民族「グルカ兵」

一般的に、ネパールのグルカ族出身者で構成される山岳戦・白兵戦に非常にたけた戦闘集団。
グルカ兵 – Wikipedia

武器は主にククリナイフを使用。刀の一種で由来や歴史については謎の多い湾刀。
実際にはグルカ族なる民族は存在しません。マガール族、グルン族、ライ族、リンブー族などの複数のネパール山岳民族から構成された集団を指します。
その鍛え上げられた恐るべき戦闘能力の高さから、世界最強の戦闘民族として認知されています。
主な居住地はインドの西ベンガル州にあり、グルカ族が住むその土地はグルカランドと呼ばれています。
かつては西ベンガル州政府と対立し暴動が起こる事もありましたが、現在は自治が認められておりグルカ族もおおむね納得しており安定していると。
ですが、グルカランドのなかには自治権の拡大を求める武装勢力も存在し、いつ争いの火が燃え上がるとも分からない状態であり、まだまだ気は抜けない状態。

「グルカ兵」が世界最強と言われる所以

なんといってもインパール作戦がその例としてふさわしい。
インパール作戦とは、
1944年3月。第二次世界大戦当時のインドはイギリスの植民地でした。そのインド開放を名目に大日本帝国陸軍はインドへと侵攻。
後に「無理、無茶、無謀」の代名詞と称される史上最悪の作戦、インパール作戦が開始されることに。
制空権も制海権も無く補給線も確保できない作戦、勝算はゼロに等しい。この作戦に日本軍10万とインド国民軍4万5千が投入されます。確実な見通しは何もないが、とにかく数で押し切ろうという無謀な物量作戦。
それでも日本軍と国民軍は止まることなくジャングルを切り開き進行を続けます。山を越え川を渡り、ついにインパールへもう一歩のところまで。
ここでついに牙をむくグルカ兵の戦果が、後に彼らの名を世界に知らしめる事になります。
殊作戦部隊として投入されたグルカ兵、彼等が最も得意とするゲリラ作戦を展開。主力であるイギリス軍及びインド軍をサポートする役目を担います。
最前線のジャングルに展開したグルカ兵は破壊工作を着実に実行、幾度にも渡る奇襲や陽動を繰り返し、確実に日本軍を追い詰めていくことに。
主力であるイギリス軍、インド軍が日本軍に苦戦する中、唯一日本軍を追い詰め戦果を挙げ続けるグルカ兵の名前は、日本軍内部でも恐れられ始めます。
ビルマ西部における戦いの日本軍の戦死者の大部分は、グルカ兵と戦って戦死したものであると伝えられています。
この作戦には後のイギリス特殊部隊SASの前身となるコマンド部隊なども展開しており、グルカ兵はイギリスの特殊部隊設立に大きな影響を与えたとも言われています。
グルカ兵の活躍とは裏腹に苦い思いを味わったイギリスは、この経験からより洗練された部隊を作ることに成功し、グルカ兵と共にSASも世界最強と認知されるほどの部隊に成長していくことに。
他にも「グルカ兵」の武勇は至るところで耳にし、
襲撃してきた十数名のタリバン兵を相手に、たった1人で増援が来るまで検問所を守りきったり、40人の武装強盗を常備していたククリナイフで、これまた1人で追い払うなど今でもその武勇は頻繁に耳にするほど。
その戦いの中で、救われ謝礼を申し出た少女に対して
「敵と戦うは兵士のつとめ。賊を倒すは自分の人間としてのつとめ」
と受け取らずさっそうと立ち去るなど、現代のケンシロウといってもいい逸話がいくつもあります。

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