サリー・ライド
サリー・ライド。宇宙に進出した最初のアメリカ人女性。
彼女は星々の探検を夢見る次世代の女性や少女たちの道を切り開くことに貢献しました。
宇宙飛行士としてだけではなく、女性の社会進出、理系の分野での活躍など多くの点で先駆者でした。
初期の人生と教育
1951年5月26日にカリフォルニア州ロサンゼルスで生まれたサリーは、科学と運動競技に情熱を持って育ちました。
彼女はスタンフォード大学に通い、物理学と英文学を学び、その後、物理学の博士号を取得しました。
まだまだ女性の割合が少ない理系の分野で、着実に知識を習得しステップアップします。
NASAのキャリア
1978年、サリーはNASAが宇宙飛行士プログラムへの応募者を募集する広告を見かけ応募。
NASAの宇宙飛行士候補者として8,000人を超える応募者の中から選ばれたわずか35人(女性5人を含む)のうちの1人でした。
この最難関をクリアした彼女の顔には思わず笑みがこぼれました。
1983年6月18日、4人の宇宙飛行士(ロバート・クリッペン、フレディリック・H・ハウク、ジョン・M・ファビアン、ノーマン・サガード)とともにスペースシャトル・チャレンジャーSTS-7の2回目のミッションに搭乗。
サリーは初のアメリカ人女性宇宙飛行士となっただけでなく、32歳で宇宙飛行を行った最年少者となり、新たな記録を残すことに。
女性科学技術者の道を開いた
1987年にNASAを退職した後も、サリーはカリフォルニア大学サンディエゴ校の教授として教鞭を振います。
また若者、特に女子にSTEM科目(科学技術工学数学)の学習を奨励することを目的とした「サリーライドサイエンス」を創設。
創設者としての仕事を通じて、宇宙・理系に興味がある人だけでなく、さまざまな人に良い刺激を与え続けました。
さらに、彼女は国家研究評議会有人探査委員会を含む多数の委員を務めます。
次世代の宇宙飛行士を育成
宇宙探査に関する7冊の児童書も共著しました。
この本を読んだ子供たちが次世代の宇宙飛行士を目指して成長し、新たな発見をする日が来るのもそう遠いことではないはず。
サリーは生涯を通じてジェンダーに基づく差別に直面してきたにもかかわらず、これらの課題に決して足を引っ張られることはありませんでした。
その強い意志と行動力で、数多くの困難を乗り越えました。
彼女は宇宙探査に対する勇気、知性、献身で世界中の多くの人に絶え間なくインスピレーションを与え続けました。
サリー・ライドは2012年に61歳で亡くなりました。
彼女の人生の記録はさまざまな障壁を打ち破り、歴史に自らの足跡を残すことを志す若者たちの模範として生き続けています。