ピクォート戦争
ピクォート戦争は1637年にピクォート族と英国入植者の間で起こった暴力的な紛争です。
発端は毛皮商人がピクォート族の戦士たちに殺されたことによります。
入植者らが報復としてピクォート族の村を攻撃し、数百人の男性、女性、子供を殺害してしまう大惨事に。
戦争は約1年続き、ピークォット族はほぼ全滅してしまいます。
戦争に至る背景
ピクォット族は、現在のコネチカット州周辺の地域を支配していた強力なアメリカ先住民の部族でした。
彼らは貿易能力で知られており、オランダやイギリスの貿易商との毛皮貿易に関わっていました。
しかしピクォート族と「入植地を拡大しピクォートの領土を侵食していたイギリス人入植者」との間で緊張が高まり始めます。
直接的なきっかけ
1636年、ジョン・ストーンという毛皮商人がピクォート族の戦士によって殺害されました。
入植者らはピクォート族が襲撃の責任を負っていると信じ、部族に対し実行犯の引き渡しを要求します。
ピクォート族が拒否すると、入植者たちは問題を自分たちの手で解決することを決意。
悪夢の大惨事の始まりとなりました。
ピクォート戦争の始まり
1637年5月、入植者たちは現在のコネチカット州ミスティックに近いピクォート村に奇襲攻撃を開始しました。
彼らは村に火を放ち、逃げようとした者は全員殺してしまいました。
ピクォート族は不意を突かれ大損害を被ることに。
ピクォート族はイギリス人の入植地を攻撃して報復しましたが、数と武器で圧倒的に劣っていました。
入植者たちはピクォート族に対して長年の不満を抱いていたモヒガン族やナラガンセット族など、他のネイティブアメリカン部族の協力を求め、手を組もうと判断。
1637年6月、入植者とネイティブアメリカンの同盟者は「グレートスワンプ」と呼ばれる場所にある要塞化されたピクォート村を攻撃しました。
彼らは村を焼き、少数のピクォート族の戦士を除いて全員殺してしまいました。
戦争の余波
ピクォート戦争はピクォート族のほぼ全滅をもたらした壊滅的な紛争でした。
ピクォート族の多くは戦いで殺されたり奴隷として売られたりしました。
数は多くないものの、保護を求めて他の部族に逃れた人もいます。
生き残った人々は他のアメリカ先住民の文化に同化することを余儀なくされ、ピクォート族は独自の存在として存在は不可能になりました。
ピクォート戦争はアメリカ先住民とイギリス人入植者の関係における転換点となました。
それは将来の紛争の舞台を設定し、何世紀にもわたって続く暴力と強制移住のパターンを確立。
アメリカ先住民は迫害と住み慣れた故郷を追い出される厳しい生活を余儀なくされることになります。
ピクォート族をほぼ全滅させるという残忍な結末に、戦争の始まってしまうと歯止めがかからない恐ろしさを感じずにはいられません。