「先天性心室中隔欠損症」の病気と向き合いながらスキーを始める
生後間もない子どもの頃、上村愛子さんにこの病気であることが判明。
2歳のとき両親のペンション経営開業にともない、家族は空気のきれいな長野で暮らすことになりました。
スキーは3歳から始めました。
絶え間なく練習を続け技術を磨き続けてきたものの大きな苦難が訪れることに。
中学2年の冬。小学校時代からのいじめに絶えかねスキー部をやめてしまいした。
スキーそのものをやめたわけではなく、知人の世話になりながらスキー場で朝から晩まで滑り続けます。
カナダのウィスラーでのトラブルからモーグルに出会う
そんな上村さんに転機が訪れます。その年、カナダのウィスラーへ旅行した際の出来事。
あるトラブルが起きます。
長年にわたり愛用していたお気に入りのスキー板が盗まれたんですね。
その時、代わりの板にと実家のペンションで働いていたことがあった写真家の千安秀彦さんに、
「これ、履いてみてごらん」
モーグル用の板を勧められました。
これがきっかけで帰国後アルペンスキーからモーグルへ転向することになりました。
転向のきっかけにもなった千安さんは長野オリンピックに向けての強化プロジェクトに係わっていた方でもありました。
それでモーグルの女子選手としてスカウトされるような形にもなったんですね。
なにがきっかけになるかわからないものですね。このつながりには運命を感じます。
長野オリンピックではいきなり7位入賞を果たすことに。
その後、ソルトレイクシティ、トリノに続いて、4度目の五輪出場となるバンクーバーオリンピック。
バンクーバーに送り出した際のお母さんの心境。
「自分の好きなことにもう一度目覚めてほしい。得意なことがあれば生きることにも自信が持てる」
メダルには届かなかったけどもお母さんの願いは十分に届いていました。
「何でこんなに一段一段(7→6→5→4位)なんだろうと思いましたけど……」
上村さんのこの言葉も印象に残ってます。
そして2013年、5度目のソチオリンピック。
ここでも悲願のメダル獲得はならず。
五輪出場は最後となることを示唆しましたけども、個人的にはもう一回、目指して欲しいと思います。
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